計算を早くするために
答えが欲しい
クリスマスイヴ
今日はクリスマスイヴ
40年以上生きていれば、
いろいろなクリスマスの想い出もそれなりにあるのだけども。
(もちろん楽しい想い出ばかりじゃないのだ)
せっかくなので、
クリスマスプレゼントのことを・・。
なぜ、クリスマスに、プレゼント交換をするようになったのか?
イエス・キリストの誕生日であることは
よく知られたところで、
一応、クリスチャンだからお伝えさせてもらうと、
この世に、
大切なものが神様から
贈られた。
そのプレゼントが、イエス・キリストだった。
ということ。
自分自身では何もできない赤ん坊の姿
(完全じゃなく、とても手がかかる。)
で、この世に送られたプレゼントということだ。
それが、プレゼント交換の風習につながった。
ということらしい。
さて、
神様からみんなに贈られたプレゼントというのは、
本当に、イエス・キリストだけなのかな。
そんなことも考えてみた。
ポプラ工房の代表、山岸が、
会社設立のときに言っていた言葉を思い出す。
「人がそれぞれ与えられたギフトを生かすことができるような世の中にしたい。」
たしかそんなことをいっていたような気がする。
イエス・キリストは、
この世に、送られたプレゼントなのだと思う。
でも、
みんな、一人ひとりが、
この世に送られたプレゼント。
なのだ。
あの人も、あの人も。
僕が、苦手なあの人も。腹立たしいあの人も。
誰もが、
何もできない。頼るしかできない。
赤ん坊で生まれてくる。
一つ一つの命が、プレゼントで、
そして、そのプレゼントにも、プレゼントが与えられている。
普段は、だめだめな自分だけど、
今日だけは、そんな風に、ちょっと静かな時間をもって
世界中と、僕自身に
与えられたプレゼントのことを
考える時間を持とうと思う。
できない自分
いやな自分、できない自分をみつめてみた。
部屋の片付けができない
時間を守ることができない
約束をときどき忘れちゃう
よくまちがえること
早とちりすること
ここぞというときについ手を抜くこと
素直になれないこと
人をきずつけること
人を見下すこと
卑屈になること
人を疑ってしまうこと
かきだすと本当にいやになってくる。
自分にこういう思いが強いと
ひとが、どれだけ自分のことを
良く言ってくれて
どうしてもうそ臭く思え、
「あなたがいっていることは違うよ。
本当の自分は、こんなにだめだめなのだから。」
そうおもってしまう。
だから、
巷であふれかえっている
「怒るより褒める」
みたいな教育法にはちょっとした疑問を感じている。
褒められても、裏があるのではないか?
そうひねくれる自分がいる。
勉強のできない子
うまく周りと仲良くできない子。
学校に行けない子。
自分で負い目を感じているならば、
良いところを見つけて褒めたところで
あまり効果が無いのではないだろうか?
と考えている。
彼らは、勉強ができないのではなく、しないのかもしれないし、
仲良くできないのではなく仲良くしないのかもしれないし、
学校に行けないのではなく、行かないのかもしれないから、
学校に行けなくても、あなたは優しいよね。
そんな風に子どもにむけて投げかけても、
あんまりこころに伝わらないのではないかなと思う。
では、どうしたら良いのか?
わからない。
だから、できることを探すために
知ることからはじめることにしている。
想像力
サンタを信じさせること
受験生をかかえる家庭の心得。
息子が通うPTAの会合で予備校を経営する方から、先ほど聞いてきた心得。
ちょっと表現に手を加えるけど、”まさに”、と思ったので、
ここであらためて。
※家庭内で喧嘩をしない。
※親の考えを押し付けない。
※子どもの意見に耳をかたむける。
※年長者としてしりうる正確な情報を伝える。