月の裏側を見てみたい。

「札幌の家庭教師ポプラ工房」共同代表 横山の雑記

「なるほどな」と「ちがうんだよな」

最近、
自分の中におきるものを観察することを
あらためてやっている。

なにか、自分の中にない考え方にであうときに、
この二つの感想が
時と場合で違った形でおきていることに
今朝、歯を磨きながら
気がついた。

なるほどな。

感じるときは、
自分の中でまったく気がつかない範囲や角度から、気づかされたときにすっと入り込む。

ところが
ちがうんだよな。
と想うときは、
どうも、自分はそれをわかって(かならずしも自分が正しいとは限らない)
いるんだけども、そこじゃない切り口があったときだ。

これは、ちょっとおもしろい。
子どもたちに何かを伝えるとき

彼らはなるほどな。
と想うときは、
どんどん良いパフォーマンスを見せる。

ちがうんだよな。
と想われてしまうと、
心が閉じてしまう。

相手になるほどな。と思ってもらいたいときこそ、
相手に対して、敬意をもって、相手の世界の範囲を理解することから
はじめるのがいいのかもしれない。

関連付け

インターネットの世界にいると
すぐに様々なサービスが
関連付けてくれる。

ただし、
こちらの意志とは関係なく。
(厳密に言うと、こちらの志向性も計算されているっぽいけど)

この、関連付けが
脳みそでもできるようになれば、
もっと記憶が上手に引き出せるのだろうに。

記憶にタグがついていれば、
思い出しやすくなるのに。

なにか記憶をするときには、
なにか別なこともしてみたらどうだろう?
と提案している。

大好きな曲を聞きながら、
そのときの記憶を思い出すように。

いじめの仕組みができあがったら(書籍紹介)

本棚を整理していた。
いじめられて学校を休んだ生徒が
なぜか、成績に1がついて、
のほほんと、いじめた側に良い成績がつく。
なんて、不条理な世の中だ。

数年前、同窓会に出たら、
昔のいじめの武勇伝を語っていたやつがいた。
もう、そいつとは話もしたくない。
40超えて、なにも考えていない残念なやつだとおもったが、
人間の本質は早々かわらないという証明でもあるかもしれない。

この時期は、同窓会などもよく各地で行われているが、
そこに足を運びたくない理由にいろいろな過去もあるのだろうとおもう。

そんなことをおもいながら、
読まないでいた本のページを、この年末年始にめくった。
「オール1の落ちこぼれ、教師になる」

最近は、スマホとの付き合いが長く、
紙に書かれた活字を読むことが
本当に少なくなったが、
本の中からこんなリストが飛び込んできた。

いじめを目の前にしたこどもの選択肢

1 いじめる側に入る。
2 いじめを周りから眺めて楽しむ。
3 見て見ぬ振りをする。

この3つの選択肢しか、ないそうだ。

本当に情けないことだけど、
1~3どれも自分には覚えがある。

しかし、これはこの中の選択肢しかないとするならば、
様々な経験をしてきているオトナが発見し、
救いだしてあげるべきなのだとおもう。

年末
「教師になりたい。」
そういっていた不登校の子とであった。
何かの形で力になれる方法を模索したい。


「国語入試問題必勝法」は使えるか?

学生時代、部屋を暗くして

ジャンクショップから安く買ったり
粗大ゴミの日にゴミ捨て場から拾ってきた
スピーカーやアンプから流れてくる
ジョンコルトレーンの短くてはかない人生に自分を重ねて(た振りをして)
小さな灯りをつけながら読書をするのが好きだった。

その電気スタンドもゴミ捨て場から拾ってきて磨いて使った。


決して、苦学生ではなかったし、ある程度ほしいものは手に入ったし、
バイト三昧だったから、学業の成績はともかく
経済的には恵まれてはいたほうだとおもうのだけど、
まだ、使えるものが、
落ちているとつい拾ってしまうのが、その頃の僕の趣味の一つでもあった。

暗闇の中で読むものが、
なにかしら、モームとかサルトルとかそんな感じのものだったらそれこそかっこいいのだろうけど、そこはどうも難しくて手に負えない。
ずいぶんはまっていたのは
清水義範」と「景山民夫」だ。
部屋の本棚には、両作者の本がずらり並んでいた。

清水義範パスティーシュ小説という新分野?でのパロディ感が大好きだった。
景山民夫は、放送作家でもあったからだろうけどいわゆるギョーカイの話もあり、なにかしら、憧れの大人の世界を身近に見せてくれるエッセイが好きだった。

その中で、もう20年も読んでいないのだけど、いまだに覚えているのが「国語入試問題必勝法」という小説の中にあった、数々の手法。
これを、実は塾の講師をやっているときにちょっとだけ当てはめてみたら、結構有効だったことを覚えて、中学生と盛り上がったことをおぼえている。あの頃の彼らはいま何をしているのかな?

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多くの中高生、そして親、国語をおろそかにする。
ところが、この国にいる限り
どの教科も国語で考えなくてはいけないことを忘れている。

「数学や理科の文章題が苦手です。」
「英語の長文問題が苦手です。」
そういう子たちも、文章題が苦手なのではなく
国語が苦手なのかもしれない。

まずは問題の主旨を整理することを
訓練するとよいとおもう。

この小説は、受験を大いに皮肉ってはいるが、
今読んでも時代はあまりずれていない。
そして、必勝法に対するエッセンスの面白い部分は、
パロディとはいえ実際にも「使える」。

年末年始、久しぶりに小説を読んでスマホ依存生活を反省して、思い出した昔のこと。
(しかし、昔の黒歴史はあまりもう思い出したくない。)

 

居場所

こういう年末年始。
どうしても家族と過ごすことが多い。
のだけど、

家族団らんが、
必ずしもしあわせな状態じゃないこと。

とどいてくるメッセージのなかから
汲み取れる。

そんな人たちも、
暖かい気持ちになれる場所を
少しずつ準備していきたい。

やさしい一年にしたい。

がんばる人を、
もっともっと応援できるように
自分自身の力をつけたい。

そして様々なことが、
なかなか思い通りにならない人たちに
やさしく寄り添える。

そんな一年にしたい。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

思い通りにならない

今年も、
思い通りにならない事
失敗ばかりだった。

だから
ちょっとだけでも事がすすんだり
うまくいった事は
本当に嬉しい。

失敗があるから
嫌な事があるから
思い通りならない事ばかりだからこそ
小さな嬉しい出来事達が輝きだす。