月の裏側を見てみたい。

「札幌の家庭教師ポプラ工房」共同代表 横山の雑記

正常化の偏見

先日、
「防災」に関する講演会を、お世話になっている人たちと企画してお手伝いをした。

近い将来、起こるであろう(専門家は必ず起こると発言している)
関東直下型の大地震について、
札幌がどのような役割を果たすことができるのか?

そのような話がテーマだった。

そこで、
「正常化の偏見」という言葉を学んだ。

「目の前に危険が迫ってくるまで、その危険を認めようとしない人間の心理傾向」
とのこと。

防災がテーマだったにもかかわらず、
その言葉を聴いた瞬間に、自分自身の
過去の様々な行動、失敗にたいして、
見逃していたサインが次々と思い起こさせられた。

そして、ここに来て、離婚を経験した時のことを思い出すとは・・・・。
もう、数年も経過しているし、
日常生活に何かあるわけではないけど、
大きな傷を自分が負ったに違いない。そして、家族にも負わせてしまった。

今でこそ、不要に自分を責めることはなくなったけれども、
なるべくして、なったのだと
必然の出来事して受け入れるには大きすぎる。

そう考えると、
自分自身を振り返ってみると、
人生の大きな転換期には、なにか「バイアス」がかかったていたりする。

「こいつ、こんなことするはず無いよな。」

とおもっていた相手に、ひどい仕打ちをうけたりしたこともフラッシュバックをする。
ほんの一言、「正常化の偏見(正常化のバイアス)」という言葉を聴いたばかりに。

人間は、そのような心理に陥りやすいこと。
それがわかっているのであれば、
事前に、その対策をある程度打てるのではないだろうか?
企業への教育研修、学習指導にも生かせる側面があるのではないだろうか?

自身におきる不要なリスクを事前に察知する
責任回避が蔓延しているような世の中で、

実はあわせて、「自分は大丈夫。」という正常化の偏見もある。

世の中っていうのは面白い。

正常化の偏見と責任回避をキーワードにした
プログラムを
創ってみるか。